ダグラス・マレー『西洋の自死―移民・アイデンティティ・イスラム』

この国に暮らしている身としては、ヨーロッパの国々が難民や移民を積極的に受け入れているように見えるのはなぜなんだろうと思っていた。技術や生活水準が高いのは自明としても、面積や食料の面で純粋に疑問だった。米国だったらまだ分かる。移民の建国史と広大で肥沃な土地があるように見えるから。しかしその米国にしたって、難民や移民を諸手を挙げて引き受けているようには見えない。

本当になんとなく、かの大戦における植民地主義や優生思想がもたらした過去の悲劇への罪悪感があったり、その贖罪という面があるのだろうか…とは思っていました。それにしたって日本から見えるわたしのイメージでは、古代ローマギリシャから続くヨーロッパの歴史は長大であって、歴史におけるある1点や2点とは上手に折り合いをつけているんだろう――と思っておりました。

これが「そうです。欧州は罪悪感を抱えています」と述べ明かされるものだから、度肝を抜かれました。(第10章)

正直言うと、その面では安心があった。この構造は日本が近隣諸国とのあいだと自分自身に抱える向きと同じように思うから。だからこそ彼岸の出来事ではなく、自分ごととして臨むべきテーマである。すぐそこにある(あるいはすでに起こっている)事象の羅針盤である。

全体を読んだあとに冒頭の訳者による解説に戻るとなお、卑近の問題として見えてくる。ただし本書は大量移民に警鐘を鳴らす立場から書かれたものだから、その反対の面も併せて知る必要がもちろんあるでしょうが。

「ハードカバー版は2017年5月4日に英国で刊行された。」とあり、ペーパーバック版のあとがきは「2018年1月26日」、訳者による解説は「2018年11月」。そのあと今日に至るまで、短いと言えば短い期間だけど、世界はブロック経済に向かい、ナショナリズムの熱が高くなっているように見える。そこにきて、新型コロナウイルスの大流行である。潮目はどう変わるんだろう。