中島義道『ひとを愛することができない マイナスのナルシスの告白』

読み終わった本の記録。

感銘と衝撃を受けた。同じような悩みをもった先人がいることが、どれほど救いになることか。出会えて心からよかったと思える本。

書名に偽りなく「愛せない者」の独白。

「愛する者」は、その崇高な愛をもって、「愛せよ、愛せよ」とたえず攻撃してくるのです。

しかし私は、あなたが愛するのと同じように、愛することができる/できているのだろうか。私の中の疑問は消えない。見える赤色は人によって違うのかもしれないけれど、どうも私が見聞きするかぎりの「愛」と、私が持ちうる「愛」とは違うもののような気がしている。

彼にとって、うちからほとばしるようにひとを愛することほど困難なことはない。愛の感情らしいものが芽生えるや否や計らいが介入する。それは理性と呼んでもいいであろう。この理性は、彼に複雑な計算を要求し、心をかたくなにし、衝動を意識化し、人工化し、こうした加工を経て生まれ出た産物は、もはや生身の愛とは言えない代物になってしまっている。きわめて人工着色された愛の代用品になってしまっている。不純なものに成りさがってしまっている。  こうした計算の底でうごめいているものは自己愛である。

「愛が無い」のでも「愛さない」のでもないのです。愛はあるけれど、それは限りなく(醜悪な)自己愛に向かう。はっきり言えばただの自分勝手である。他人のことが畢竟「どうでもいい」のである。

もちろん本書は、「親や家庭に恵まれず、”愛されなかった"と叫んでいる中年男の自己弁護」と読むことができてしまうと思う。だがそれさえ「愛する者」の押し付けがちな、愛至上主義の立場から出てくる感想なのです。そんな批判は筆者は百も億も折り込み済みであるし、なんなら「家庭はむしろ"愛"に満ちていた」とさえ述べている。

しかし、考え見聞きし知りうる「愛の定義」に拠るのなら、「私は愛せないし、だから愛されるのを恐れる」と語る。

なぜ、これほど私は愛されることを恐れているのであろうか。それは、私が他人を愛することが できない 人間であること、自分しか愛せない人間であることを知っているからである。そのことで、やはり卑下しているからであり、恥じているからである。だからこそ、せめてこの大いなる欠陥をなるべく自分のうちに秘めて生きていたいのに、私を愛する人の登場は私のこのごまかしをあばきたて、自分しか愛せない男というおぞましい自己像の開示を私に迫るからである。...


付しておきたい一つ。「愛をめぐる妻との確執」において、妻や息子に向ける「突如猛烈な憎しみ」については、私はよく分かることができなかった。突発的な憎しみは、その真反対に突発的な愛があって、互いに近しいのではないかと感じてしまう。憎むことができる人は、むしろ羨ましい。嫌いになることや憎むことにさえ、私は心を割けない。

キレイゴトを言うつもりはないし、むしろ、仕事とかしているときの憎しみメーターはほぼMAXなのですが、それはもう『我が目に映る者は、いま残らず死すべし。音を立てずに灰になるべし」と思ってる。特定の誰かを憎むのも好きになるのもできなくて、言葉を選ばずに言えば全員が嫌いなのだ。嫌いになるのさえ面倒だから、無関心でいられる距離を保ってほしいのだ。

もちろん普通に社会生活もセックスもしているので、好きだったり付き合いのある人もあるが、それは愛情に近いところにある「好き」なのか「義理があるから」なのかさえ私には区別がつかない。(というか、みんなそんなもんなのかなぁと顔色をうかがっていた)

付しておきたいことのもう一つ。そういう意味で私は、本書に登場する「父」の方に感覚が近いのではないかと感じてしまった。


引用したい箇所は数知れず、本書ほとんどの箇所に線を引きたいくらいでした。最後に。

私がこの世でいちばん怖いもの、それは愛を無条件に要求する人の眼である。愛さない人を断罪する人の眼である。愛されたいという人が愛されていないことを自覚したとき、人間は最も残酷になりうる。

荻原浩『あの日にドライブ』

あの日にドライブ (光文社文庫)

あの日にドライブ (光文社文庫)

読み終わった本の記録。

もちろんおもしろかった。が、自分の記録として残しておくなら、もう一つ入り込めなかった。

自分の精神が小説に向く状態ではなかったというのが大きな一つ。ここに描かれている、あったかもしれない「たら」「れば」を、自分に引き寄せて思い馳せることができなかったというのが小さな一つ。

あのときああしていれば。違う道を選んでいれば。そういう悔いを抱くには「(私が)選んだ」という杭が要る。来た道にある杭の列を眺めてはじめて、その杭、あの杭を思い出すことができる。ただ私にはそれが無いように思う。選んでこなかったし、今も選べていない。否、小さくは選んできたんだろうけれど、それは負けが少ないほうを避けてきただけ。自分や自分の人生に責任を持って選んだことがないのだ。

そんか私にとって、この主人公・牧村は、ただそれだけで眩しすぎる。