在宅勤務の準備をしています

COVID-19のことはきっと日記として残しておくべきでしょうね。

だいぶアウトプットをさぼっていましたが、外出自粛のいま、日記/ブログを書かずして何をして過ごそうか。(いや、Twitterとかあるので、長い文章を書くのがつい億劫になりますよね。職場でただでさえ必要に迫られて長文を書くので余計に)

この先何年かして、思い返す日がくるといいです。

ご多分に漏れず「在宅勤務にしろ」と言われております。しかし上の方は「しろ」と言うだけで、具体的にどうやるのかは「現場で考えろ。工夫しろ」と言われるだけなのはどういうことなのでしょうか。社会の縮図でしょうか。

私の観測範囲では、「事務」とか「内勤」とか一般的に言われている業種ほど、在宅勤務ができる体制が進んでいない気がします。四六時中パソコンとインターネットの前に居るのに不思議です。「原本とはすなわち紙である」「印鑑(なんらかの赤い丸)があるものが重要である」という形骸化した文化を疑うこと無く安穏としてきたツケをいま払わされているのでしょうね。

これを機会に文化と技術が更新されていくことを願うばかりです。なにはともあれ、自宅で作業できるように環境を作る必要が生じました。


情シスかどこかが購入し用意したのだろうと思しきリモートデスクトップ。ほかにVPNとVDIを組み合わせた方法も用意したようですが(セキュリティ的に無意味な気がする)いずれにしても、職場のファイルサーバーに繋ぎにいけないと作業ができない状態。これがもう辛い。恥ずかしい。クラウド環境で完結できるようになっていたら、クライアントPCも選ばないし認証的にもよっぽど安全なように思うのですが…。中小零細では難しいところがあるのでしょうね。

使ってみて一番のネックは日本語入力切り替えです。自分がキーバインドを変えているせいかと思ったら、そういう問題ではなかった。

入りに行く側・入られる側のそれぞれで、IME ON/OFFのショートカットキーが衝突するのを避けなければいけないらしい。そのためにショートカットキーを新設・変更しないといけない。新設するのはいいけど、それに慣れるのめちゃくちゃ大変だと思うんですけど、その辺の作業効率の著しい低下については何も触れられていなかった。悲しい。

Chromeリモートデスクトップ(無償!)だとこの問題は出なかったので、単純に製品・ソリューションとしての質が追いついていないのだろうと思う。


www.logicool.co.jp

キーボードって難しい。テンキーは無くてもまぁなんとかするけれど、Windowsで仕事する場合、Home, End, PageUp, PageDownをどうしてもよく使う。かつ省スペースだと嬉しいので買っていたもの。

(テンキーも含めて)キーレイアウトはほぼ理想に近いものの、キータッチがふかふかしていてすごく打ちづらい。反発が弱いというか押し込みが深いというか…。とにかくミスタッチが増えるのでこれまで寝かせていたもの。背に腹は代えられないので封印を解きました。

自粛でやることもないので、キーボードに慣れる意味でこれでこの文章も書いてみています。慣れない!


マウス。マウスね…。なんでもいいんですけど、家には「Logicool M510」しかなかった。いつの間にか販売終了してた!

職場だとトラックボール(往年の名機 M570 Wireless Trackball - ロジクール)を使ってるんですよね。Macだとトラックパッドだし。とにかくマウスを使う機会が無くて、これも慣れない。腱鞘炎になりそう。


pc.watch.impress.co.jp

モバイルの進化はめざましく、そもそも家でPCを使う機会というのが激減しましたね。PC/Macにしてもノートなのでディスプレイに使うほどの用途がなかった。

ということでこれもだいぶ長い間眠っていましたが、今回活躍していただくこととしました。

久しぶりに大画面。使いやすい…!くせになってしまいそう。

渡辺和子『置かれた場所で咲きなさい』

読み終わった本の記録。

Kindleのセールで購入していたものの、ずっと積ん読だったもの。図書館封鎖のため、積ん読消化中。

220万部のベストセラーとは存じ上げなかったものです。

説教くさいわけではないのです。心の持ちようを改めて考えようということだと思う。これだけ立派な方が「自分もまだ至らない」というスタンスで述べてくれることはありがたいとさえ思う。ただキリスト教系のこういった教えを知るには三浦綾子『氷点』とかの〈物語〉のほうが、移入してとらえられるのではないかしら。

中島義道『カイン―自分の「弱さ」に悩むきみへ―』

「ああ、ぼくも他人に迷惑> をかけることができるんだ、そう心の底から実感する必要がある。感動する必要がある。
きみは、「いい子」の衣を鎧のようにびっしりまとっているから、それを溶かすにはこうした「覚醒した反抗」を不断に実行しなければならないのだ。これこそ、マジョリティにはまったくわからないことなんだろうが。」

読み終わった本の記録。前に手にとった『ひとを愛することができない マイナスのナルシスの告白 (角川文庫)』と同じ時期に購入していたものの、それにあまりに衝撃を受けてしまって読み進められていなかったもの。

相変わらず緻密に(反論を封じ込めるほどの執拗さで)書かれるので、もはや言うことはないのだけれど、私はどこかで願っている。願っていた。

たぶんこの「生きづらさ」「弱さ」は私だけが感じているものではなく、私の周りの「誰もが」本当は同じように感じていて、「なお」それを包み隠して上手に生きているのではないかと。本当は苦しみながら悩みながら闘っているのではないだろうかと。私が特別「特別」なのではないだろうと。それは「自己と他人の同一視」という陥りやすい幻想でしょうか。マジョリティ(カインの敵)であろうとする私の願望でしょうか。

一方、じゃあそれを認めてしまうとする。私はカインであり、それ以外は私を理解することのない「鈍感な世間」であるとする。それって怖いことです。厨二病のそれと見分けがつくだろうか。自分が自分を責めるのを恥じ入るのを止められるだろうか。強さの一面だと割り切れるだろうか。

本書は(その書名が表す通り)若いうちに出会っていたかったと感じます。