平野啓一郎『マチネの終わりに』

読み終わった本の記録。

天才クラシックギタリスト蒔野と、多言語を難なく扱うジャーナリスト洋子とが出会い、懊悩し、織りなしていくお話。

読み始めますと、この人たち牛丼とか食べたこと無いんやろな… ワインとパンとアンチョビで身体ができているのではあるまいか…という、ひどく下世話な感覚になるのは正直に申し上げましょう。「どんな世界やねん!」と。高尚すぎるやろと。

「出会い」ののちは初々しく瑞々しく、いやしかしお互いがもういい年なので仕事やしがらみも多く、会わない。会えない。物語の都合という側面もあるでしょうが、わかるーそうだよねそうなってくるよねー。という気持ちもあります。

蒔野のチャーミングさに比べて、洋子が聡明すぎて大変である。嫌味な賢さではないのがまた、「女」としては苦労が多いだろうなと思ってしまう。

「いつまでうだうだやってんねん! 早よ抱くがよろし」と中盤差し掛かるところまで思います。正直申しましてね。地の文章とか会話が「美しすぎる」んですよ。それで余計にね、いやもういったれ!と思わされます。それも計算なんでしょうか。

ひとつのきっかけ〈転〉を迎えてからは、急にソワソワ私はおもしろくなってしまって、一気に読みました。洋子とヘレンの会話のパートが、トガッてて好きです。

これほどの愛に触れられるのは、やはり本の・物語の良いところだと思います。


たまたまひとつ前に読んでいた、米澤穂信さよなら妖精』がユーゴスラヴィア紛争を題材にしていたものだった。本書はユーゴスラヴィアにルーツを辿りながら、今度はイラク紛争がひとつの題材でありました。偶然にしては出来すぎていてちょっと驚いた。


恥ずかしながら私は、アコースティックギタークラシックギターの区別もついていませんでした。

サブスプリクション時代は良いですよ。本書に出てくる音楽や映画のサントラも聴けます。

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