西加奈子『きいろいゾウ』

感情と散文の暴力。むしろSFに感じる。津原泰水みたいな浮遊感。

愛が深すぎていっそ怖い。いい意味でも悪い意味でも「日本映画」っぽい。なんというか「オサレ」であった。

津村記久子さんも西加奈子さんも、関西の方である。なんだろう、勝手に思い描いているあけすけな明るい響きではなく、屈託があるんだよなあ。この濃淡のある関係性の中で「書きたい」が生まれるんだろうか。しかしなお関西弁はずるいですわ。すぐにやたらと“近く”聞こえる。

生産性の無い女(というか男女)にイライラしてくるのは確か。地続きの生活があって耽美的で。しかしそんな地面とふらふらした頭がどう共存してるのかとツッコミを入れたくなる。その辺りが「ひとの頭の中は覗けない」ジレンマと、昇華してみせる文学だろうか。ふらふらした頭の見せる世界が高尚なのか俗っぽいのかは分からないものです。

というかそう、こんなにたくさん身体と言葉を費やして互いに確かめ合っているのに、なお致命的なすれ違いが起きてしまうのなら、絶望と諦観に襲われてしまいますわ。

ほとんど白に近い頼りない月が、電車にこっそりとついてきて、私はその努力を涙ぐましいと思う。