「個人の日記」だっていいじゃない

仕事始めでございました。年末から続く仕事の少なさと自分の部屋にはない温かい空気とで、頭がポーッと音を立てそうでしたが、なんとか乗り切りましたね。定時に荷物をまとめ帰路につき、まっすぐ帰ると19時前。正月太りがさすがにきついってことで、腕立て伏せしてみたり腹筋ローラーしてみたりしても20時前。そこからパスタをレンジして、納豆を混ぜて、味噌汁(インスタント)を作って、DLifeで録り溜めた『ホワイトカラー シーズン2』を見ながら、ピーターとニールにキャッキャウフフしつつ、安物のワインを空けて。気付いたらボトル半分くらい飲んでいましたね。

かように、わたしの人生は波乱に満ちている。


「個人の日記」というものは、簡単そうにみえて簡単じゃないと思っています。ブログ、狭義には「主張をする場」としてのブログから逃げてきた人間にとっては、非常に難しい。メールやLINEやTwitterに慣れ、そこでしか文章を書く機会がなくなってくると、なおのこと難しく感じます。

まずもって、文章を書くこと自体が大変な作業ですのよ奥様。主語、述語、目的語の係り受けを誤解なく記述する技術は、それだけで実は非常に高度な世界でしょう。職場にだって友人にだっていませんか。そこにはたしかに日本語が書かれているはずなのに、まったく意図が読み取れない文章を書くような方が。

それとね、人によって違うのでしょうが、頭の中には「あれもこれも」って書かれたい言葉たちが溢れてくる瞬間がありますでしょ。今の酔っぱらいのわたしがそうですけれども、その言葉たちを正しく整列するのは、自分にしか出来ないんですよね。

まとまった文章を書いてみるまでなかなか意識できないことだけれど、泡のようにただよってくる言葉たちを「1, 2, 3」って順列にするのか、「1, 1, 1」って並列にするのか、「3, 2, 1」って逆にするのかって作業は容易じゃない。表現にあたって文章を使う以上、「文章」って直線なんですよね。左上から右下に、右上から左下に、まっすぐ読まれるものだから、まっすぐ書かざるをえないのが文章なのです。

自分の中では「まずもって〜」の段落と、「それとね〜」の後の2段落とが並列の関係になるのだけれど、これが正しく伝えられるかどうかも自信がない。

日本人がTwitter大好きなのは、140字の世界ではうまいこと書けるような気がするからだと思っているのです。勝手ですけれど。よく分からない勢いで書きますけれど。そこには多くて2, 3文しか入らない。文と文との関係はそこまで複雑になりようがない。Tweetを分けて続ければ、自然に時系列に続く文章になる。みんな、話したくて喋りたくて書きたくてしょうがないんだと思う。


ブログって難しくなったよね、って思う。

ブログでお金を稼いで生活する人がいる。大きくなるほど、有名になるほど、批判も中傷も受けるでしょう。けれど、お金ないし生活がそれに支えられているのであれば、過激なことも強い主張も書くでしょう。一方でその批判に堪えられないのなら「最初から書くな」なんて言われるようになった(ような気がする)

芸能人がアメブロで日記を書くようになる。読者はそれが芸能活動の一環だと承知しながら読むのでしょうけれど、一方でそれ以外の人間がブログで日記を書くと「なに日記なんて書いちゃってるの」なんて言われるようになった(ような気がする)

悪いことじゃない。むしろこうやって経済が回って色んな技術や場が生まれるんだろうと思う。

だけど、小さな自分の、どこか奥のほう、個人の日記の、個人の感想だけれど、こうやって「主張」も「日記」もむしり取られてきたような気がする。


インターネットが広くなったらいいな、と思う。自分が中途半端に古い人間だからでしょうけれど、どうしても狭く感じる。

自分が好きなものを見つけて、検索してみたときに、「私も好き」という一言を見つけられたら嬉しい。その人が好きなものは、自分も好きになるかもしれないから。