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やりのこしていることはないだろうか

日記

もうすぐ30歳です。

ちょっとね、思うところがあって書いておきます。

やりのこしていることはないだろうか、と。

人生この先、なにがあるかなんて分からない。端的に言えばさ、明日電車や車の事故に遭うとか、看板が落ちてきて下敷きになるとか、急に倒れるとかさ。見て見ぬふりをしているけれど、本当はこの土地にだっていつ大きな地震がきてもおかしくない。

当たり前の今日の、その先にある「明日」って、地続きではなくて、確信なんてなくて、すごく不安定なんだなって感じることが増えた。

不思議だよね。自分も含めて基本的に人は、当たり前に明日がくると思ってる。明日なんかこなければいいのにって夜に逃げたい日もあるけどさ、でも、明日がくるんだよ。明日がくると思ってるからなんとか生きていけるようにできているんだよね。

悔いのない人生なんてない。火が消えるときに「あぁもう全部完璧にやりきった」なんてことはありえない。だけどせめて自分が手の届く範囲に、手を届けておきたいと思う。なにが正解かなんて分からないけど。

例えばさ、「やりのこしたことがないように」なんて思って一番最初に思い浮かぶのは、とりあえず「仕事」だったりする。「もっとよく、強く、優しく。もっとがんばれるはずだ」なんつって。でもそれって本当に大事なのかなって次の瞬間には考えてる。他にもっと大事なものがあるんじゃないかって。

脱線するけど、この点最近ちょっと思うところがあって。どの程度「ないがしろにできるか」ってもう人の性質によるんだろうなって諦めはじめた。「仕事なんて大事じゃない」って思ってるけど、それを実践するともう、僕という人間は悶々とするしイライラするし後悔ばっかりする。良いか悪いかは別として、自分が納得できるところまでやってみるしかないんだろうなって思う。心体をすり減らしてしまわない程度に。

それでそうですよ。そうじゃなくて。「なにをやりのこしたか」という問いは、いまこの瞬間「なにをすべきか」という問いに変わる。なにをすべきか。なにをしたいか。これがね、正直わからない。

世紀の大発見ができればいいのかもしれない。お金を稼いで法人になったりしたりすればいいのかもしれない。小さいことでも誰かを助けられればそれが有意義なのかもしれない。でも、そこまでの器用さと熱意がない。自分に限らないだろうけど。

この小さな世界で、気の置けない友人と酒が飲めて、煙草をふかして。本を読んで映画を見て、たまにセックスがあって。それで十分だというのは寂しいだろうか。僕にはこれがひどく恵まれた人生のように思えてしまう。このうえなにを望むべきなんだろう。

とどのつまり愛されたいのだ。愛されていたいのだ。衣食住足りて、承認欲求の奴隷なのです。いい会社人であれ、いい友人であれ、モテる男であれ。ただ生き延びることってこんなに大変だ。