突発性難聴(片耳)の辛いところ

日記なんでね、たまには個人的な記録を残しておこうと思う。

2015年くらいから特に左耳で高音域の耳鳴りが止まない。自覚があってから一年半くらいして耳鼻科にかかって突発性難聴と診断されました。原因が分からないのを突発性と名付けるそうだから、その通り原因は分からないんだけど、今思えば仕事の忙しさなど放って病院にかかればよかったなぁとは思います。

耳鳴りがするのは、聞こえない音域を「聞こえるはずだ」と一生懸命聞こうとしてしまうからだとかなんとか。念のため脳の写真とかも撮ってもらって、それにはなんともなくてよかった。

右はまぁ人並みに聞こえるし、左がまったく聞こえないわけでもないから、日常生活を送る上ではなんとかなってる。しかし、困るときは困る。

周りの音が大きいと、言葉が聞き取れない

居酒屋とか、立食パーティーとか、披露宴とか。仕事だとたまにある展示会での接客とか。聞こえない方から喋られると本気で分からないときがある。アルカイックスマイルにも限界があったりする。

音が反響する環境だと、言葉が聞き取れない

これは前段と近くて、狭いところとか喫煙所とか音が反響する環境だと、なぜか聞き取れない。ほかの人が聞き取れているのが不思議になるほど。

左で電話が取れない

左肩に受話器を挟みながら、PCを操作したりメモをとったりしたい場面なんかは日常多々ある。しかしこれができない。

というか、それをやりすぎて突発性難聴になったじゃないかって気さえしている。

テレビや映画を見るのが疲れる

字幕万歳!「ながら」ができないのは難があるけど。ニュースやバラエティーなんかは最近は字幕がいっぱい出るから意外にそんなに困らない。シリアスもの映画・ドラマ・アニメね、これが辛い。

YouTubeの英語字幕(自動生成)はめっちゃすごいですよ。日本語聞くよりラクじゃねーかってときある。日本語にもぜひ対応してほしい。

だから最近は小説がいい。次は老眼との戦いなんだろうけれど、感覚器官を1つ失って気づいたのは「いつまでもあると思うな」ってこと。身体ないし感覚器官は消耗品である。聴こえるうち、見えるうちにこの世の娯楽はできるだけ食い尽くしてしまいたい。仕事なんぞに磨耗させられている暇など、残されていないのだ。

カラオケで音がとれない

そもそも音楽がきちんと聞こえているのかという疑問、音感がない(音痴だ)という前提はあるにしても。全部の音を一方の耳で聞こうとするからか、カラオケで自分の発した声と伴奏が分離できなくて、分からなくなる。歌うのが怖くなる。これが一番切実。


特定の音域が聞こえない場合、音を増幅しても聞こえないから、補聴器はあまり効果がないらしくてそこには至ってない。

ただ「こちらは聞こえが悪い」というメッセージを表現するひとつの方法ではあるよなぁ、と思ったりして、心が揺れています。