清水義範『行儀よくしろ。』

私はこれから、文化性による教育、もしくは、文化の伝承という教育について話をしていこうと思っている。そして、そういうものが今私たちの国にちゃんとあるのか、それとも大きく欠如しているのか、ということを見ていきたい。そしてもし欠けているのなら、世の大人は何をしなければならないのかを考えていく。

行儀よくしろ。 (ちくま新書)

行儀よくしろ。 (ちくま新書)

良書でした。タイトルで迷ったけれど、筆者で手にとった本です。

引用にある通り「教育論」というくくりにありつつ、それにとどまらず広く教育とは、文化とは、大人とはという内容を多様な視点から語られます。まず「『学校教育論』から踏み出すべきだ」という視点はもうおっしゃるとおりだと思いました。「教員は聖人ではなく、普通の人間なのだから過度に期待をするのはおかしい」なんてまさにその通り。しかしその上で仕事をしている彼らに敬意を払いましょうともおっしゃる。

このような論調で、善悪を決めつけない(上からでない)視点が心地よくまたまっとうで、素直に読ませてくれます。

本当に、自分の振る舞いはどうだろうと思い返すと、恥ずかしい気持ちになりました。

要求を通すためにやたらに大きい声を出していないか。人の目を気にして立ち・座り・歩いているか。端的に言えば、自分だけが良ければいいと思っていないか。誇り高く親切であることが、ただそれだけで美しいと言われる世の中であってほしい。そのためにはまず自分からはじめよう。

わたしのこの狭い観測範囲では、「正直者がばかをみる」とか「ゴネ得」とか、そんな風に感じる部分があるんです。そんな空気があると「自分だけ行儀よくはいられない」って無意識に思うところがあると思うんですよ。それどころか、「なに自分だけ行儀よくしちゃってんの? きれいぶって」みたいな同調圧力さえあるのではないか。

抗いたいな、と思いました。