今年は例年になく、年末感を覚えないまま年の瀬を迎え、年始にかけていつものように飲み明かしていました。
年賀状が数枚届いてそれに返事を書いたりしながら過ごしていると、ようやく年も変わったなと実感する場面が増えてきましたが、それにしても今年は「長い連休(冬)」の感覚のほうが勝った。クリスマスより年越しをひとりで迎えるほうが色々と色んな意味で堪えるということを学びましたが。
きょうだいの子供に会う機会が多くなり、年末年始の感覚の正体はきっと、生と死を再認識することなのだろうと感じた。
時が経てば人は大きくなる。子供が生まれたりもする。疎遠になった友人もいる。出会った人たちもいる。親が老いたように感じれば、比例して自分も老いていることに気づく。今年は29歳になるんだななんてことを漫然と考える。
そんなことを、年賀状や年末年始の挨拶や、特番編成のテレビを見たりしながら思いを巡らしていると、きんと冷えた空気の下でふと感じるようになる。
ああ、あとどれくらいの時を過ごせるだろうか。どれくらいの笑顔に出会えるだろうか。どれくらいの楽しいことを見つけられるだろうか。
年をとるほどに、感覚は鈍くなり、腹は出てくるし、肌は荒れやすくなって、関節も筋肉も軋むようになるけれど、せめて抗いながら。