辻村深月『鍵のない夢を見る』

鍵のない夢を見る

鍵のない夢を見る

夢見る力は、才能なのだ。

夢を見るのは、無条件に正しさを信じることができる者だけに許された特権だ。疑いなく、正しさを信じること。その正しさを自分に強いることだ。

それは水槽の中でしか生きられない、観賞魚のような生き方だ。だけどもう、私にはきれいな水を望むことができない。これから先に手に入れる水はきっと、どんなに微量であっても泥を含んでいる気がした。息が詰まっても、私はそれを飲んで生きていくしか、ない。

それらが全部、私のせいだったらよかったのに。

雄大から、私のせいだと罵られ、責められたかった。人のせいにしないのは、潔いからではない。それは、彼が私に興味を持たず、執着していない証拠なのだ。

『芹葉大学の夢と殺人』についての宮部みゆきさんの選評を読んで、これは読んでおくべきではないかと思っていました。

以前に読んだ辻村深月さんの作品たちとは趣が全然異なる。5つの短編、5人の女性、その日常にある暗さ。

感想を書く前にいくつかレビューを読んでしまったのだけれど、わたしはこの作品すばらしいと思った。つっつけば「大げさ」だとか「誇張しすぎ」とか言えてしまうけれど、それはどの小説にも言えることだろうと思う。あくまで誇張である。というかフィクションである。それなのにそこに「ありそうな」日常があり、洞察があり、輝く一節がある。(上に引用した箇所からは目が離せなかった)

5つの短編の背景には同じような色が見えるのに、泥棒、放火、逃亡者、夢と殺人、誘拐のそのどれもが、終わりには違う色に見えてしまう。トリックや解決があるわけじゃない。救いも希望もあるわけじゃない。なのにラストにはなぜか驚かされてしまうのが、本当に不思議です。

一編目『仁志野町の泥棒』で、失礼ながら「これ、このラストよく書けたな」と撃ちぬかれた。それから繰る手が止まりませんでした。

『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』もそうでしたが、「女」を描くのに卓越していらっしゃる。