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宮部みゆき『悲嘆の門』

悲嘆の門(上)

悲嘆の門(上)

悲嘆の門(下)

悲嘆の門(下)

『ソロモンの偽証』にいよいよ手を出したいのですが、あまりの長編で物理的に置くスペースがないことに逡巡し、それに比して上下巻ならと、久しぶりに新刊を新刊のうちに手にとった作品です。

本に挟まれていたパンフレットを見るまで知らなかったのですが、これは『英雄の書』の続編なんですね。続編という言い方が適切かどうかは分からないし、個人的にはあまり好きな言い方ではないけれど、同じ世界観で時系列でつながっているとは言えると思う。

『英雄の書』は少女が主人公だったし、舞台も違う。本作は青年にさしかかる少年が主人公。やはり宮部みゆきが書く「男の子」は圧倒的に生き生きとしていて、心の動きに不思議なほど無理がなく、純粋で優しく、自分の瑕に向き合っている。

〈物語〉の物語を、〈言葉〉という言葉で描く。メタ作品ではないのだけれど、やはりどうしても哲学的な側面をもった物語だと思う。

前作を読んだのは3年ほど前で細かいところをだいぶ忘れてしまったけれど、それでも印象に残っているのは「物語を紡ぐ人間としての業」についてだった。もっと言ってしまえば、〈物語〉や〈本〉のうえで凄惨な事件を起こし人を殺すことの罪と、それに対する贖いにさえ読めてしまった。ごめんなさい、ごめんなさいと謝りながら、それでも書かずにはいられないという筆者の叫び声みたいだった。だから正直言うと、下巻では正直読むのが辛くて何度か挫折しかけたことも覚えています。

本作は、それよりは多少(本当に多少)俯瞰で読める。というか、先の見えない謎の数々と、主人公をとりまく人たちの気持ちと動きがおもしろくて気になってどんどん読めた。ご本人もインタビューで語っているからいいでしょうが、上巻はミステリーを読んでいたと思ったら下巻でいつのまにかファンタジーになっているような不思議な構成です。

〈物語〉をギミックとして読むことは僕にはできませんでした。というかたぶんそういうファンタジーやSFは古今東西にすでにある。

この物語を読みながら、自分やあいつやあの子がそれぞれにどんな〈物語〉を紡ぎ背負っているのか思いを馳せて、死ぬことなく蓄積していく〈言葉〉について思いを巡らせるしかできなかった。それが不思議と優しい気持ちにさせてくれる。武器や怪物や力を描きながら、本当に描きたかったのはそういうことなのかな、と思いました。

(ガラをただの怪物や理解不能なだけの存在ではなく、女性であり母であるとしたのは、やはりどうしてもそう“できなかった”のではないかと思う)

欲を言うなら、もう少しカタルシスが欲しい。勧善懲悪とは言わなくても、理不尽な物事に理屈で溜飲を下げるようなラストをどうしても欲しがっている自分に気づきます。なんかそれがもう、安易な〈物語〉に蝕まれているようで恥ずかしいのですがね。この作品の性質上、なにを言っても正直「ミサワ」になってしまうのですよ。

一般受けはしない種類の長編小説です。ただ少なくとも僕にとっては、人生のどこかに残ってその一部分になっていくような小説でした。