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長い夏休み

日記

夜にキーボードを叩きだすと、というか文章を書き始めると、頭が冴えてしまって眠れなくなりますね。それはわかっているのだけれど、昼過ぎに起きて夕飯を食べて寝るという、夏休みの手本のような生活をしたあとで、どうせ布団に横になっても眠れないので、日記代わりにこれを書きます。

10連休です。

先日祖父の容態が急変し、そのまま他界した。2年弱の病院での生活だったから、動揺は大きくはありませんでした。

死は予想できないから、これについては何も言えない。ただ、通夜・葬式が平日になった。このおかげで、会社で働くようになってはじめて、お盆の連休と繋がって巨大な連休になった。(本来は今日13日から週末までがお盆休み)

子供のいないヒトリモノ

仔細を書くことはないけれど、わたしには子供はいないのです。30前後の男にしたらそれは珍しくないことだと思うけれど、まぁそれは置いといて当面結婚という事態も、子を授かるという見通しもないわけです。

しかし、わたしの兄弟・従兄弟(これがまた年齢が近い)たちが、同じようなタイミングで結婚・出産を経ているのです。しかもこの少子化の時代に、また数が多い。

社会という枠組みで考えたら、それはとても素晴らしいことなのですが、わたし個人といたしますと胸がチクっと痛むような、もっと言えば肩身の狭い思いをいたしました。誰に何を言われたわけでもないのですけれど。

こういう冠婚葬祭の折にね、痛感する。そしてこれがあと何度続くんだろうと、正直、暗澹たる気持ちになった。

子供のできない夫婦もいる。恋愛や結婚に向いていない人だっている。不幸にも病気でできない人だっている。同性愛者だっている。(もちろん地域や人間で違いはあるだろうけど)そういう理解はかなり進んでいて、いまはそれを受け入れる土壌があると感じているし、そうでなければいけないと思う。

ただね、ひとつには仕組みが追いつかない。例えば結婚式の座席。例えば葬儀の花や席。おそらくひとり者を当たり前に吸収できるようにはできていない。尊重してもらいながら、でもどこかで無理がはたらく。

もうひとつには、何より当事者の意識の問題だろうと思う。どんな言葉にしても悲惨だから、それを承知で、でもそう、正直に包み隠さず言えば、どんな顔をしていたらいいのか分からないのだ。「わたしはひとりで生きていきますから」とツンとするのか。「すみません、わたしはひとりなんで…」では卑屈ではないか。「◯◯ちゃんはカワイイね〜。おじさんと遊ぼうかー」と取り入るのは滑稽ではないのか。

そう、自分が自分を恥じている。自分がどう見られているのかを気にしている。それを他人や一族やあるいは別の何かに転嫁している。たぶんそういうことなんだろうと思う。(わたしなんかは、自分で選んだ人生だから余計にたちが悪い)

こんなことを考えても、何も結論らしいものは出ませんけれどね。このさき歳をとりながら経験を重ねていくと、それは折り合いがつけていけるものなんだろうか。

やることがない、夏。

ということでね、はてなブログって右下に文字数が出るんですね。読書感想文をあんなに嫌っていたのにもう1300字超えてるんですって。いや、ということでね、この夏はいつもの夏の通り、暇なのです。