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喜怒哀楽の「怒」

怒りという感情は不遇だ。

感情は四種類だけじゃないと思うけれど、代表して彼らに並んでもらったときに、喜んだり、悲しんだり、楽しんだりすることは、堂々としてよろしいことになっている。少なくともわたしはそう感じている。

けれど、怒りだけは違う。そもそも他の3つに比べて外に向いているものだからだろうか。そう簡単に表に出すべきではないものとして扱われ、表に出たときにはその「正しさ」が常に検証される。(だから属人情報の無いまたは薄い場所で表に出やすいんだろうか)

そうして押し殺す訓練をしてきたわたしたち、わたしは、いざその渦に巻き込まれたときにそれを自覚できない。胃のあたりがもんもんとして、体がそわそわして、眼の奥が熱くなってきてやっと「ああ、わたしは怒っているのか」と気がつく。次にその怒りの矛先はどこに向いているのかと考える。

ここで、内に向かってしまうと、たいがいろくな結果にならない。外に向いても収穫が無いことが多いけれど、そこで見て見ぬふりをしていても、何も変わらない。うまく別の形で消化・昇華するように動くべきなんだろう。

喜哀楽たちと同じように、怒りはそこにあるものだと認めてあげよう。呑まれてしまうと自己嫌悪につながるやっかいな彼だから、少し距離を置きながら。でも大切な自分の一部だから、見守りながら。